写真展「Wandering Nature」のための長すぎるステートメント

犯行/供述

 2018年の初頭、その年の6月に個展として発表することになる作品のための撮影はもう続けられないし続ける必要もないという気がしたので何か別のことをやろうと、14mmの超広角、私のデジタルカメラはAPS-Cサイズなのですなわち35mm版換算21mm相当の新しいレンズを買った。使ったことのないくらい広い画角であれば今までと違うものが写るだろうと思った。撮影場所は、東京都内とした。それまでは郊外の風景にひかれていたのだが、超広角であれば密度の高い都心の街に適しているはずだ。このレンズで仰ぎ見るような角度の建物などを撮ると、垂直線が消失点に向かって極端な角度で集中していき、わずらわしい。そこで、カメラを縦位置で水平垂直に構えて撮影する。カメラの高さつまり私の目の高さが上下方向の中心線になるので、得られた図像には地面が無闇に多く写る。アスペクト比2:3の画像をトリミングして上下を切り捨て、正方形を得る。
 撮影場所は都内に集中していてレンズの特徴も活かしている作品、となるはずだったが、当初の目論見は崩れていく。でかけた先で目につく光景があればとりあえずシャッターを切るし、旅行にもでかけるので、東京以外の写真も貯まっていく。超広角ならではのパースペクティブが面白いと意気込んでいたけれど、そこにこだわることも無いのだと思い直して、もう少し標準寄りのレンズも使うようにした。しかし比較的初期から鍵となるフレーズは頭の中にあった。wandering nature。辞書を引けば「放浪癖」とある。natureという単語には、最初に浮かぶ「自然」という語の他にも「本性、性質、本質」などの訳語が当てられることを思い起こす。カメラを携えて放浪を繰り返す以外のやり方で写真に関わることができない人間の本性。だが逐語訳すれば、さまよう自然、となり、首都という人工物の砦の内側で、雑草が、昆虫が、鳥が、さまざまな自然がさまよい、うごめいているさまが見える。あるいは、人間とその生産物を含めたすべてを自然と呼ぶのならば、都市は今まさに不明瞭な未来へとさまよっている自然であると言える。natureという単語から人はいわゆるネイチャーフォトを想像するだろうから、それを裏切る形で都市の姿をnatureとして提示することができれば、これは作品になるのではないか。natureの複数性が写真になるのならば。
 2019年11月、エプサイトの公募展選考を通過し、展示の予定が決まった。その後も撮影は続けていた。2020年10月、当初の予定よりも4週間遅くはなったが、展示に至った。
 ——村上龍は1997年の小説『イン ザ・ミソスープ』の中で、殺人犯にこう言わせている。「要するに、子どもが犯した殺人の原因を見つけて、みんな、安心したいだけなんだ、子どもの殺人に原因はないよ、幼児が迷子になるのに原因がないのと同じだ、親が目を離したから? それは原因じゃなくて子どもが迷子になる過程の一つにすぎない」 レンズを変えたから? 撮影地を限定したから? 気の利いたタイトルをひらめいたから? それは過程の一つにすぎない。だとすれば、ここでいったい何を語れば、原因/根拠/大義を説明したことになるのだろうか。犯罪者の供述はときとして理路整然と犯行の「動機」を語るだろうが、それはフィクションに過ぎないかもしれない。事実に反しているとか虚偽であるということではなく、その因果を結ぶ見えない線が、近代文学的な虚構であるかもしれない。写真展に附されるstatementは、犯罪者の自白とどれほど違うのか。ともあれ、報道番組が大衆に理解されやすいように事件に物語を付与し犯人像を描くように、人が納得できるような「制作意図」や「テーマ」を提示する義務が写真家にも課されているようだ。理不尽な犯行動機をあらわす定型句を模倣して「むしゃくしゃして撮った。なんでも良かった」というのが最も真実に近いような気もするし、黙秘権を行使することもできる。ただ私のnatureは、それほど詩的でもないし、禁欲的でもない。

辺境/故郷

 「反遠近法 」というタイトルでまとめた作品に至るまでの数年間、郊外に惹かれていた。郊外を撮りたい、とかつて感じたきっかけの1枚を撮影したときのことは妙に記憶に残っている。工場と住宅が入り混じる一帯を歩いていて、送電線か何かを支える鉄塔の足元部分、人の背丈よりは高いくらいの位置で、金属の柱と柱の間に青い細かい網目状のシートが張られて風に膨らんでいた。それにカメラを向けながら、ああ、郊外を撮りたいな、と思った。あまり人が歩いていない、通るのは自動車ばかりの、都会の繁華街と比較すればずいぶん寂しいエリア。農地や工場や空き地があり、空間に隙間が感じられるような地域。とりたてて特徴のない、日本の大部分を占める、「その他」のマージナルな領域。そのときの1枚がストレージのどこのフォルダにあるのかわからないし探してもいないし、もしかしたら記憶の捏造でそんな写真はどこにもないかもしれないが、実際かなり多くの撮影を郊外で行なった。とは言え場所が私個人の作品にとってそれほど重要であるわけでもなく、結果的に展示されたものを見ても特に郊外を捉えたというふうには見えなかっただろう。レンズもカメラも色々だったし、雑多なものが詰め込まれた作品だった。
 幾人かの写真家は故郷を写すことから仕事を始め、それ以外の幾人かの写真家は何かのきっかけで故郷へと還り、作品を作る。それは自らのルーツやアイデンティティを見つめ直すというようなテーマ設定のもとに制作されることもあるだろうし、大災害などで変わってしまった故郷に向かい合うというような動機もありうる。写真が究極的には自分自身を写すものであるならば、生まれ育った地へとレンズを向けることにはいくらかの必然性があるのかもしれない。私は都会で生まれ育ち、いまだに東京周辺に住み、都内で働いている。東京を訪れたからといって故郷へ還ったという感慨があるわけもないが、ある種の親しみを感じることはある。JR京浜東北線で荒川を渡り都内へ侵入すると、多様な起伏に張り付いた街並みが眼を奪う。荒川の北側に広がる関東平野に比べると、山手台地に多数の河川が切り込んで作られた地形は刺激的ですらある。埼玉から都内へと南下していく列車は、しばらくは右手に崖を見ながら進む。新幹線が赤羽台の斜面に穿たれたトンネルに突入するが、その向こうに立っていた団地群の多くは取り壊されてしまっている。王子では石神井川が台地を掘りながら線路の下をくぐり、飛鳥山公園の斜面を自走式モノレール方式の斜行昇降装置が登り降りする。田端では湘南新宿ラインや山手線が池袋方面へと住宅地を見上げながら分岐していく。日暮里付近では多数の寺と墓地が丘の上にあり、そして上野公園の脇を抜けるとやっと崖は終わり、不忍池を含む低地がひらけ、アメ横を見下ろす。
 1980年の著書『見えがくれする都市』において、建築家の槇文彦とその研究グループは、江戸/東京の町と地形との関係を考察している。著者の一人、若月幸敏によれば、「近代においては、地形や緑に代表される自然はあくまで白いキャンバスの如く「地」であり、そこにプランナーが自由に「図」を描くという考え方が主流を占める」。一方、「大都市のなかでもとくに東京は開析谷と台地が複雑に入り組み、いわば地形のしわに左右されながら町が形づくられてきた形跡がある」。自然を背景へと退かせてしまうモダンな計画性とは異なる、微地形に応じた、場所の固有性を豊かに表現する街並みが、ここに見出せるという。「山の手では尾根道、谷道が地域の骨格をつくり、これから枝状に分岐した道が、台地や谷地の範囲を覆っている」。この都市で道を覚えるためのポイントは、山の手では「坂」であり、下町では「橋」だ。誰でも、特にカメラを携えて街を歩くことをやめられないような類であれば誰でも、容易に思い浮かぶだろう。近代的な移動手段である自動車にとってはいささか不都合な、細く蛇行する道や不定形な交差点の、実にしっくりくる場所に設置された小さな稲荷や庚申塚。アイストップとなる大きな寺社。現代では建造物に遮られてほとんどわからなくなっているが、街路の軸線をはるか遠方まで引き延ばせば、富士山や筑波山へと至るよう計算されている。徒歩で移動すれば、自然と交差するような街路のあり方は、親しみや近しさを感じさせてくれるものだ。
 ドイツの生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルは、1934年の著書『生物から見た世界』で、自らが唱えた概念である「環世界(Umwelt)」ついて説明し、生物機械説に反駁している。機械説によれば、生物とは入力に応じて出力を返す機械にすぎない。そこでは機械の部品のように感覚器官と運動器官がつなぎ合わされ、刺激に対する反応として行動が分析される。だがそのような硬直的な見方からは生物の「主体性」は出てこない。「動物はもはや単なる客体ではなく、知覚と作用とをその本質的な活動とする主体」だと見做されなければならない。「知覚世界」と「作用世界」が連動し、一つの全体として、その生物にとっての「環世界」を作り上げる。それは動物の種によってまったく異なる、互いに想像を絶するような別世界であるだろう。たとえばダニは、森の枝先にじっとぶら下がり、哺乳類が通りかかるのを待つ。ダニは獣の血液を欲している。ダニが哺乳類の皮膚に到達するために頼るのは、酪酸の匂い、毛の感触、皮膚の暖かさ、の三種の単純な刺激だけだ。ダニは、哺乳類が通りかかるのを、というか、哺乳類を表す嗅覚刺激が訪れるのを、いつまでもいつまでも待ち続ける。研究所では18年間絶食したまま生きているダニが観察されたという。このような環世界と、人間の住む世界とはまったくかけ離れたものだ。果てしない時間を、わずかな匂いを逃さぬように集中力を保ちながら、孤独と空腹のうちで過ごす生命。
 モグラの環世界において、地下に張り巡らされたトンネルシステムは、家(Heim)であり故郷(Heimat)であるという。単にトンネルの道筋を覚えているというのではなく、その土地全体を自分の支配下に置いているのだ。決まった場所で餌を採る個体は、トンネルが潰され埋められてしまっても、その場所に再びたどり着くことができる。人間である私はもちろん、そのような故郷を持ち合わせてはいない。地形の襞に張り付いた街並みに近しさを覚えるとしても、私たちは自然からはるか隔てられている。

情報/地図

 予約制駐車場webサービスがある。スマートフォンから1日単位で予約し、クレジットカードで精算し、指定された駐車場に車を止める。車を出す時も、何の手続きもなく、ただ走り去るだけだ。駐車場にはそのサービスを示す標識はあるのだが、数十センチメートル四方のプレートが地面に貼られているだけなので、そこが予約制駐車場であることは通りすがりの自動車からはまずわからない。従来のコインパーキングのような、電灯のついた看板や自動精算機や出入り口を遮断するバーなどは、そこにない。スマートフォンから検索すればそこにあることがわかるが、その場を見ただけではそのようなサービスが存在することがわからない、見えない駐車場。おそらく、精算機などを設置するコストをかけずに、土地を駐車場として活用し収益をあげられるシステムなのだろう。その場にいることで得られる情報と、電子機器経由で得られる情報とは異なっている。人々はインターネットからもたらされるデータを物理世界にマッピングしながら街を移動する。
 スマートフォンを覗き込み位置情報ゲームに興じる人々を横目に見ながら歩くとき、この解離はとてもわかりやすく実感される。人々はそれぞれのデバイスを通じて、それぞれに意味づけされた都市を遊歩する。物理的には同じ空間に隣り合わせながら、別の現実を見ている人々。社会学者の鈴木謙介は、2013年の著書『ウェブ社会のゆくえ』において、このような状況を「<多孔化>した現実」として分析している。デジタル情報技術によって生み出される意味の空間が、物理現実を上書きし、無数の「穴」をあけてゆく。デジタル機器を通じて、まったく別の文脈が「穴」を通じて空間に侵入し、ときに軋轢をもたらす。ソーシャルメディアで話題の場所で「インスタ映え」を求めてスマートフォンで写真を撮る人々は、その文脈に属さない者からすれば、しばしば苛立ちを催させる。
 テクノロジーの進歩と浸透が、都市を多層化し、見えないものにしている。ただ、この事態はそれほど新しいものではない。インターネットとスマートフォンよりもはるか以前から、都市はそのような方向へと変化し続けている。建築家の磯崎新は1966年のエッセイ「見えない都市」で次のように述べている。「時速40マイルや100マイルで移動し、通過している主体にとっては、都市の外貌は継時的に派生しながら出現する映像にすぎない。都市内での距離が、ルネサンスの画家たち(彼らは神のような主体の眼を確立した科学者であった)が、透視画法で測定したような視覚的空間として把握され得なくなっている。……操縦者がみいだす風景は、ひろがり、重みをもち、形態に意味の密着した物質の存在感からつくりあげられるのではなく、計器によって測定された、すなわち記号に翻訳された対象物と主体との相対的関係性だけとなる」。 首都高速を自動車で走る時、人間の方向感覚や距離感覚はほとんど役に立たない。進むべき方向は、ジャンクションやインターチェンジの方向を示す標識が(今やカーナビゲーションの音声案内が)教えてくれるものだ。防音壁の向こう側に見えるビル群は、現実というよりも単なるスペクタクルとして映像のように流れ去る。ルネサンス的遠近法は運転の役には立たない。あるいは、電車で都内を移動する場合を考えてみよう。乗るべき電車を知るために頼るのは、複雑怪奇な路線図だ。その縮尺は正確では無いが、乗換のための情報を得るために効率化された記法。自動車の中にいるときと、電車の中にいるときと、徒歩で移動するとき、人々はまったく別のトポロジーに属している。互いに見えない都市を生きている。驚くべきことに、人々は驚きもなくそれらの異空間を行き来しながら日常を送っているのだが。
 フランスの思想家ロラン・バルトは、1970年の著書『表徴の帝国』に東京の印象を(それは「想像上のしろもの」に日本と勝手に名前を付けたものだ、と前置きしつつ)書きつけている。「この都会の道路には名前がない」。所番地を頼りに目的地にたどり着くことができない。たしかに私たちの国の住所システムは、幾何学的な合理性とはかけ離れたものだ。駅などの目立つポイントを軸にして、方位図を頼りに進むしかない。バルトは道を尋ねたときに日本人がその場で描く即席の地図にいたく魅了されている。手書きの地図があれば、視覚的な表徴(橋、赤い電話、並木道…)を辿って目的地へ向かうことができる。ジャングルの中であればごく当たり前のことだが、巨大な現代都市においては異常なことだ。「想像上の日本」では、人々はあたかも藪をかき分け獣道をいくように、視覚の印象から巧みに進むべき方向を読み取って、自然の中で暮らしている。
 アニメーション作品でモデルとなった地域や施設をファンが訪れることを俗に「聖地巡礼」という。メディア、コンテンツ、コミュニケーションにより現実に別の価値が付与されることの一例だが、この言葉が本来示している行為がどれほど古く普遍的なものであるか思い起こして欲しい。世界中の人々が、古来から聖地を巡礼してきた。観光もまたはるか昔から「聖地巡礼」であり、人類は現実に意味を書き込みながら暮らしてきた。私たちはこの歴史の先端にいる。都市は、ますます見えにくくなり、多層化している。

地層/廃墟

 建築する動物は、私たち人間だけではない。が、私たち以外の類人猿による建築は比較的質素なものだという。それに対し、鳥類による建築には目を見張るものがあると、イギリスの動物学者マイク・ハンセルは2007年の著書『建築する動物たち』で書いている。たとえばハシナガクモカリドリは、150本もの絹糸を打ち込みリベットとして使い、葉の下面に飛行船のゴンドラのように巣を吊す。社会性昆虫も驚異的だ。1万匹の成虫が住むミツバチの巣。地下6メートルに達し、800万匹の成虫が暮すハキリアリの巣。建築というよりも都市と呼ぶべきスケールである。しかもそれらの合理的な構造は、司令官が頭の中にある青写真を元に指示を出すことで巨大な構造物として実現されるわけではなく、「局部的な刺激に対して各個体の集団が示す<創発的な特性>」の連鎖により出現するのだ。この動物界にあって、地球環境への影響度という点においては人類が突出している。
 大気化学者パウル・クルッツェンと生態学者ユージン・ステルマーによって2000年に提案された人新世(Anthropocene)という語は、今や手垢にまみれたという感があるかもしれない。美術業界においてもこの地質学用語への言及はかなりの数にのぼるだろうし、「流行り」は過ぎたと言ってもよい。自然科学において提案されたこの概念は、かくも多くの門外漢をも惹きつけてきた。地球誕生以来の巨大な歴史的尺度を分割する地質年代、その最新の年代である完新世の中で私たち人類は暮らしてきた、とされていたのだが、私たちはすでに次なる地質年代に足を踏み入れているのではないのか、それは人新世と名付けられるだろう、というのだ。人、という文字がそこに入るのは、人類の活動こそがその画期を形成した要因と目されるからである。人類の活動が地球環境に及ぼす影響は、そこまで重大なものとなっているというわけだ。
 私たちは客観的な観察者として地質を調査し、そこから数十万年数千万年のスケールでの環境変化を読み取り、年代を名付けてきた。だがこの観察対象に、私たち自身の影響がすでに刻まれ始めているとしたら、どうだろうか。しかもそれが壊滅的に不可逆的な地球環境の変化をあらわしているとしたら。これを見届けられるものは誰もいない。百年程度のスパンしかない個人の人生ではもちろん、人類が種としてそれを見届けることも、不可能と断言してよいだろう。数百万年後の地球に降り立った知的生命体が地層を調査し、そこに人類の活動による微細な痕跡を認め、今私たちが生きている時代を人新世に相当する何か別の名で呼ぶことにする。そのような冷ややかなロマンティシズムとサイエンスフィクション的な想像を誘発する魅力が、この語にはある。
 人新世の始まりをどこに置くかについては、議論がある。農耕の開始、産業革命、原子爆弾の使用、そして第二次世界大戦後の急速な発展(Great Acceleration)。議論が紛糾するのには政治的な理由がある。自然科学の話なのになぜ政治が出てくるのかいぶかしむ人もいるだろうが、何が政治的であり何がそうでないかを議論すること自体すぐれて政治的である。「人」と言われているのが誰なのか、という問いがここに並走する。もしも人新世の端緒を農耕の開始というような遠い過去に置くならば、火を使うことを覚えた猿の活動が必然的に招いたのが今日の地球規模の変化であるように見えてくる。だが、産業革命やGreat Accelerationなら、その背景には植民地支配や先進諸国による富の収奪と独占がある。人という種一般ではなく、人新世を作り出した、その責任を負うべき一部の人々、国々、階級、システムがあるのではないか。ならばそれは人新世ではなく資本新世(Capitalocene)と呼ばれるべきだろう。
 社会と自然とはもはや二元論的に対立しているわけでなく、渾然一体となっている、と主張する人々もいる。客観的な観察者から、地球環境をかき乱す主体へ。あるいは、安定した環境の上で主体的に振舞う地球の支配者から、なすすべもなく悪化してゆく環境に翻弄される客体へ。単に「手を引く」ことは解決にはならない。私たちの手で地球に与えられた作用はすでに慣性力を持っていて、押すのを今すぐやめたとしてもそのまま転がり続けてしまう。手のつけようのない激変が始まるTipping Pointを、すでに通過してしまっているかもしれない。最も傲慢な対策は、地球の管理者として積極的に環境を制御すること。成層圏へ人工的にエアロゾル粒子を注入し大気の反射率を増加させることで温暖化を回避するといったアイディアが検討されている。
 フランスの哲学者ブルーノ・ラトゥールは2014年の論文「人新世の時代におけるエージェンシー」で、人新世における主体と客体の転倒について、科学のディスクールを分析しつつ論じている。一般的な見解によれば、科学的な言説は非生命的であるべきで、自然のうちにある客体を擬人化してあたかも行為主体であるかのように語ることは慎まねばならないとされる。それに対して人新世の議論は、もはや私たちの運命は自然と混じり合っており、社会と自然とを分断するような思潮は終わりにすべきだ、ガイアの声に耳を傾けて共に生きよう、と訴える。これに対してラトゥールが指摘するのは次の点である。科学の言説は、これまでもつねに研究対象を「擬人化」してきた。これは科学の欠陥などではなく、自然の探究するにあたって必然的に要請されるものなのだ。「ここで私が強調したい存在論的見解とは、記号論があらゆる存在が共有する交易地帯として指し示すもの——すなわち擬態化——は、この世界について語られる言葉の特徴であるだけでなく、この世界それ自体が持つ性質だということである」。この存在論的見解には、倫理的政治的なコノテーションがある。すべてが非生命的な物質にすぎないとすれば、あらゆる事柄は先行する条件に規定されて引き起こされるにすぎない。条件から条件付きのものへと連鎖だけが実在するのだとすれば、すべては前提条件へと帰せられるのだから、何も起こっていないのだと言ってもよい。原因となりうる/責任を取りうる行為者は、政治的倫理的主体は、どこに見出されるだろうか。モダンな二元論が崩壊し、ポストモダンな一元論の人新世に突入したのだと喧伝して、そのようなアクターを新たに探しに行く必要はない。「この世界それ自体が持つ性質」として、私たちは科学的に文学的に、いつも行為主体について語ってきたから。
 生命体としての都市と建築について考えるならば、1959年に始まった日本の建築運動メタボリズムを避けては通れない。新陳代謝を意味する名称の通り、動物の細胞が入れ替わるが如く、生き物のように更新されてゆく建築が構想された。この運動を非難するのは、ある意味ではたやすいことだ。建築家の八束はじめは、2011年の著書『メタボリズム・ネクサス』で次のように指摘している。「メタボリズムへの批判の多くは、極めて両義的である。というのは、それは、一方においてメタボリズムがあまりに消費社会にコミットしすぎたと批判し、他方では計画されたようには取り替えをされなかった、つまり消費対象としての論理を全うしなかったと批判するからである」。後者の例を挙げるなら、有楽町から程近い場所にレトロフューチャーな魅力を今も放ちながらそびえる中銀カプセルタワービル(1972年竣工、設計は黒川紀章)のカプセル(部屋)は、ユニットとして取り外して別の機能を持ったカプセルを取り付けることを可能とするよう計画されたものだが、実際には一度も交換されたことがないままだ。前者の究極的な例は、東京そのものかもしれない。新陳代謝の思想は建築単体としては成就しなかったが、巨大都市全体としては、資本主義の論理による絶え間ないスクラップアンドビルドとして皮肉な形で思想の欠如とともに実現した。
 ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンは1935年の論文「パリ——十九世紀の首都」において、「あらゆる時代はその終焉を自分のなかに含んでいる」と述べている。「商品経済の動揺とともにわれわれに見えてくるのは、ブルジョワジーのモニュメントの数々が、崩壊するまえにすでに廃虚となっている姿なのである」。資本主義の終焉とともに廃墟となったモニュメントがベンヤミンの目には映じていた。私たちには、未来のいつか、資本新世の地層から発見される廃虚としての都市が見えているのだろうか。新型ウィルスによる経済のスローダウンによって、この都市が地層の一部へと還る時期は多少先延ばしされるのか、それともむしろ早まるのか、私たちにはまだわからない。

円環/透明

 ここまで私たちは都市を三つの側面から論じてきた。それぞれを、想像的自然(辺境/故郷)、象徴的自然(情報/地図)、現実的自然(地層/廃虚)、と名指してみよう。親しみや近しさ、あるいは疎ましさや煩わしさといった情動の対象としての想像的都市。安定した所与の条件のようなこの街に私たちは自然と同一化している。記号のネットワークによって幾重にも意味づけされたエクリチュールとしての象徴的都市。私たちは自然の上に折り重ねられた自然のコードを解読しながら暮らす。地球環境にまで影響を及ぼしながら新陳代謝する御し難い生命としての現実的都市。私たち二足歩行の動物はこの惑星の行く末を翻弄し翻弄され自然の一部であることを思い出す。これらのレイヤーがボロメオの環のように奇妙な連関を形成しながら、私たちを取り囲んでいる。カメラとレンズ、あとはせいぜい三脚しか持たずに、この自然とどのように対峙すればよいのか。
 建築史家のコーリン・ロウは、1963年の論文「透明性 虚と実」で、二種類の透明性を定義している。「虚と実」という翻訳は誤解を招くので英語でも示すが、一つは literalな(文字通りの)透明性、もう一つは phenomenalな(知覚による)透明性である。literalと言われているのは、ガラスや水が透明であるというような、文字通りのこと。phenomenalのほうはやや難解だが、ロウはジョージ・ケペシュを引用することで説明に当てている。「二つまたはそれ以上の像が重なり合い、その各々が共通部分をゆずらないとする。そうすると見る人は空間の奥行の食違いに遭遇することになる。この矛盾を解消するために見る人はもう一つの視覚上の特性の存在を想定しなければならない。像には透明性が賦与されるのである。すなわち像は互いに視覚上の矛盾をきたすことなく相互に貫入することができるのである」。この論文ではまず絵画が例に挙げられ、その後に建築が論じられている。後期のポール・セザンヌによる「聖ヴィクトワール山」や、分析的キュビズム絵画の中に、phenomenalな透明性が見出される。前景・遠景が圧縮された奥行きのない画面、斜交および直交グリッド、複数の座標系。建築におけるliteralな透明性は、ガラスの特性としてそのまま表現できる。ワルター・グロピウスによるバウハウス・デッサウ校がその例だ。phenomenalな透明性を持った建築として、ル・コルビュジエの設計が論じられる。「事実と暗示の間の絶えざる弁証法が存在するという訳だ。実際に奥行きのある空間は見掛け上の奥行の浅さとは常に矛盾する。そしてその結果起こる緊張によって何度も繰り返し読みを深めることが強いられる」。
 二つまたはそれ以上の物体が空間の同じ場所を同時に占めるという事態はありえないし、空間というものの定義と矛盾すると言える。その不可能なことが起こっていると知覚されたとき、人はそこに透明性を感じる、というよりも、論理的不可能を回避するために透明性のような概念が要請されるということだろう。ル・コルビュジエの建築が騙し絵のように現実的にありえない構造を体験させるよう計算されたものとして透明性を宿すのならば、誰にも計算しえないほどに錯綜した自然としての都市もまた、透明性を帯びてくる。面と面とのせめぎ合い、正方形のフレーム内部での異質なオブジェクトの衝突は、知覚に不協和を響かせながら都市の重層性をメタフォリカルに指し示す。
 スクエアフォーマットが好都合なのは、いわゆる写真的な構図と比率の美学に囚われにくいからだ。長方形では、画面を等分した上で主要な被写体と背景をどのように配置するか、その巧拙が問題とされやすい。正方形は、中心へと集中させるか、または画面全域に均等に関心を向けることに適している。フラットに緊密に採取した街路の標本を、形態的にゆるやかに分類しつつ、並べ置いてゆく。そこには肉眼では見えないものが写っていなければならない。そうでなければそれは単に記録であり、写真になりえないから。写っているのが撮影したときの感動であったり環境問題への関心を喚起せんとする作者の意図であってもよいのだが、私が興味を持っているのはもっと即物的な現象だ。見慣れた街を特定の地点から特定の画角と角度で切り抜いたときに初めてもたらされる不安と違和感。あくまでも具象的でありながら抽象へと向かう力動を生み出す強度と緊張。写真の不可視性と都市の不可視性のホモロジー。
 地と図の階層を乱す微地形の上に、非中心的で分散的なプランニングが身体的な街路を展開する。遠近法を無力化する高速度のネットワークの下で、バーチャルな社会空間に多数の孔が穿たれる。吐き出す炭素を地層に降り積もらせながら、未来の廃墟群が屹立する。ここへ自然がさまよい込み、すべては自然としてさまよい出す。写真を介して、見えるものと見えないものとが交錯する。放浪の道すじを、カメラの眼だけが照らす。

2020/10/29
関根 大樹


初出:
2020年10月30日(金)~11月12日(木)エプソンスクエア丸の内 エプサイトにて開催した個展「Wandering Nature」会場にて頒布したテキスト