電気グルーヴの誰かが音楽雑誌のインタビューでこういう話をしていた。このアルバムはクソで作った五重塔なんですよ。クソがしたくなる度に我慢して家帰って、集めたクソを積み上げて苦労して作りました、って。すごいけど。だから何だよ、っていう。
十数年前の話であってうろ覚えなのだが、しかしこのエピソードが妙に印象に残っていて、心の片隅でずっと考えている。これを「クソで作った五重塔問題」、汚いから略して「五重塔問題」と称する。作品を作るというのは要するに、クソで五重塔を作り上げることである、と主張してみよう。だから何なのか。
努力が必要だっただろう。大変な量のクソを集めなければならないのだ。汚いからクソっていうのはやめよう。とにかくそこには真摯な努力があったとしよう。だからといって素晴らしい作品とは言えそうにない。才能も必要かもしれない。適度な粘度を持ったそれを継続的に生み出すことができる胃腸。だから何なのか。人に認められなければならないのか。うわあこんなに大きな五重塔、すごいですね、と言われるとうれしいのか。私はちやほやされたら嬉しい。しかしチヤホヤでは腹は膨れないのであって、やはり世の中はカネである。金儲けできること、高く売れること、それは良いことだ。グローバル資本主義に支配されたアートマーケット。自己満足だって重要ではないか。自分の力を出し切った、これが私だと胸を張って言えるような創作物。五重塔。誰にも認められなくても自分の道を行く、というのは天晴れなことだが、しかし五重塔をひたすら練り上げる私は狂人かもしれない。これではアウトサイダーアートである。
どこに違いがあるのか。私の描いた絵が1億円で売れました。私の撮った写真は美術館に収蔵されました。自転車で世界一周しました。高い山に登りました。第3四半期の営業成績が優秀でした。インスタグラムでたくさんフォローされました。デジカメで生成した画像データを4テラバイト溜め込みました。絶妙なタイミングで面白い冗談を言いました。今朝もちゃんと歯を磨きました。抜いた鼻毛でセーターを編みました。どっかで個展を開催しました。クソで五重塔を作りました。だから何なのか。
途方にくれるばかりなので、今も心の中に五重塔がそびえ立っている。